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ヘルシーエイジング
2016 / 02 / 25 ( Thu )
 ある日のできごと

 先日、30名ほどの会でお話をする機会がありましたが、前もって質問が送られてきていました。
 バッチフラワーの使い方やレメディを作ることに関しての質問から、老いについてや死生観、ターミナルステージの方に付き添うことについてなど、実に多岐にわたる内容でしたので、それらの質問に対する答えを含めて、メインのテーマは「生老病死」と「よりよく生きる」というような内容になりました。

 私個人が、どのような死生観をもっていて、どのように老いと向き合い、人生をとらえているかを問われている面もあったので、バッチ博士の宇宙観や哲学のみならず、私が出会った人々が見せてくれた生き様や、それが自分に与えてくれたものを含めて、自分をふりかえるきっかけにもなりました。

 人間は生まれた時から死ぬことがプログラミングされている訳ですが、生老病死を見据えているからこそ、生が輝くのであり、また「『死』」というものが存在するというより、『生』があって、それが終わる時を『死』と名づけたに過ぎない。」という考え方にも一理あると私は思います。これは、家族の死を契機に、もともと「死」についてあれこれ考えていた自分が、さらに深みにはまったことの弊害に気づくまで、目に入ってこなかった言葉だったと話しました。

 そして「老い」については、アンドルーワイル博士の言う「Graceful (潔く優雅)な」エイジングを目指したいということなどにも触れました。Gracefulには優雅というだけでなく、いさぎよさというニュアンスがあります。肉体は不自由になっていくことが避けられないのでしょうが、その分精神は願わくば自由になっていきたいと思っています。限られた時間内では到底語り尽くせない内容ではありましたが、今の年齢で感じていることをお伝えしたあと、テーマのもつ性質上、みなさんの中にもさまざまな思いが湧き起こることと思い、参加した方たちがグループに分かれて感想をシェアする時間をもって頂きました。
 職業や性別が違う方たちが、ご自分の想いを話されて、互いに心が響き合う時間になったとの感想が聞かれました。
 
 いろいろな方との触れあいは、私の人生を豊かなものにしてくれています。

林サオダ
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18 : 23 : 55 | バッチフラワーレメディ | トラックバック(0) | page top
家族力動(ファミリーダイナミクス)
2015 / 04 / 29 ( Wed )
 このコラムを長い間書かないでいたのは、その間に3回も海外に出ていたこともあり、書けないまま時間が過ぎてしまいました。でも、また再開しようと思います。

 これまでに、私はバッチフラワーレメディのコンサルテーションで多くの方に出会い、お話を聴いてレメディを一緒に選んできました。来談者が話される悩みは、仕事、人間関係、健康問題、などさまざまですが、バッチフラワーの場合、感情に対応したレメディを飲んでいくので、どのような感情をもっているのか、どのような精神状態なのかに、フォーカスすることになります。
 家族関係そのものからくる悩みもありますし、現在抱えている問題は必ずしも家族とのことではない場合もありますが、その人自身の感性や性格・傾向性は、家族の中で身につけた認識や行動パターンと無関係ではありません。
 自分の前にはおひとりの来談者が現れますが、その方の感情面の歴史や傾向性には家族力動(ファミリーダイナミクス)が大きく関わっていることに、レメディを飲んでいくプロセスで気づかれる方は多いです。

 アメリカの精神分析家ネイサン・アッカ―マンは家族の構成員の心的な相互作用に目に向け、「全体としての家族」を
捉えた家族システム論を提唱しました。そのような観点は、バッチフラワーのコンサルテーションでも来談者を理解するうえで役立ちます。レメディを飲むのは家族の中の一人だけで、家族療法を行うわけでもないのですが、家族は噛み合っている歯車のようで、ある家族の他の家族とのコミュニケーションのとり方が変化したり、行動パターンが変わると、ファミリーダイナミクスに影響が出てきます。
 もちろん、家族の他のメンバーもレメディを飲み始めたりすれば、噛み合った歯車はより早く動くと言えます。

 私は、ある時心理療法のコースでロールプレイで機能不全の疑似家族を演じることになり、三代に渡る家族の一番下の小学生低学年の娘をやりました。 祖母、父、母、兄がリアリティのあるアクトアウトで、家族の歪みが自分のところにかかってくる感じを五感でひしひし感じました実人生では長女の私には貴重な体験でした。

 バッチフラワーレメディは、自分で自分をケアできる安全でシンプルな方法です。
コミュニケーションの負のスパイラルに陥らないで、家族がお互いにとっての喜びのみなもとであり続けたいものです。
 
 
 林サオダ
 

 
13 : 56 : 54 | バッチフラワーレメディ | トラックバック(0) | page top
リジリエンス
2014 / 07 / 29 ( Tue )
 バッチフラワーレメディのコンサルテーションでお会いする方たちの多くは、バッチ博士が願ったように、やがてレメディを自分で使うようになっていかれます。
 レメディを日常に取り入れた方は、自分の心の癖のようなものにも気づけるので、自分の感情とのつきあい方が上手になっていき、自己理解が自然に深まっていきます。

 最初にレメディと出会った時に比べて、精神状態が安定する人が多いのは事実で、時々感情のバランスを崩しても、すぐに必要なレメディを飲むことで自分でケアするようになるので、バッチフラワーレメディは、使う人たちのリジリエンスを高めると言えましょう。

 「リジリエンス」という言葉には、弾力や弾性の意味があり、たち直る力、復元力、回復力をさします。アメリカの心理学者ジョージ・ボナーノ博士は「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」と定義しています。
 身体には一定の状態を保とうとする恒常性が備わっているように、心にもバネのようなものがあって、非常につらい状況下においても、心の健康を維持する働きがあると思われます。ひとによってそれぞれ違うプロセスで、死別や離別を体験した方たちにも、悲嘆にくれて悲しみの中にずっと留まる人、そこから長い間たち直れない人もいれば、しなやかにリジリエンスを働かせて「健康」を取り戻していく人もいます。私も娘を亡くした時には、バッチ博士の「どんな場合でも、どんなに厳しい状態でも、絶望する必要はありません。なぜなら、その人がまだ肉体的に生きるのを許されているということは、支配している『魂』は希望を捨てていないことを示しているからです。」という一節に、抵抗を感じました。まだ大学生だった娘が死んで、自分が生き残った理不尽さが、どうにも受け入れがたく思えたので、おそらくレメディを使わなかったら、もっとリジリエンスは働かなかったのではないかと思います。

 強制収容所から生還したユダヤ人の精神科医ヴィクトール・E・フランクルの「人生はどんな状況でも意味がある」という言葉も、光を投げかけてくれました。
 自分の力ではどうにもならないようなことが起こっても、レメディを飲んでみることが、心を穏やかにしてくれます。

林サオダ
17 : 18 : 02 | 未分類 | トラックバック(0) | page top
バッチフラワーの自然な広がり
2014 / 05 / 14 ( Wed )
 バッチフラワーレメディについて、最近ロシアで紹介セミナーが開催され、医療関係者も含む80名の参加者があったということで、関心の高さに驚きました。また先日、日本で開かれたフラワーエッセンスのコンファレンスでは、さまざまなフラワーエッセンスのプロデューサーが集まり、私はプログラムのほんの一部を聴いただけなのですが、フラワーエッセンスを語る時に、バッチ博士の言葉を引用する人が多いことに、あらためて博士のバッチフラワーレメディの発見なくしては、ほかのフラワーエッセンスは誕生しなかったのだとの感を強くしました。

 医師4名が話すプログラムでは、各種フラワーエッセンスを使ったケーススタディの紹介もあり、内科医や精神科医などがそれぞれの立場から話をされました。日本の医療制度における混合診療の問題が出ていたことと、そのような状況でもエネルギー医学に価値を置く考えを医師がもてば、それなりな実践はできるという話もありました。それぞれの方は、医学教育では学ぶチャンスがなかった世界に目を向けるに至った個人的な体験をおもちで、興味深いお話でした。
「『どうやったらフラワーエッセンスが医療の世界に入っていくことができるか?』との質問を受けることがあるが、ひとりひとりが自分のために使えることにいちばん意味があり、その使い方を紹介する人がふえていけばよいのではないか」との見解も、バッチ博士が協調したセルフヘルプに通じる内容でした。

 バッチフラワーレメディの80年近い歴史は、確かにそういう形での広まり方で進んできて、現在もなお、ほんの一部の研究を除くと、やはり無数にある個人の体験の総和にすぎない面があります。しかし、それだから意味がないのではなく、作用機序が未解明でも、確かに恩恵を受ける人たちがいるということであり、経験値が重みをもっています。

 バッチ博士の「セルフヘルプ(自助)」という考えは、時に「セルフケア」と同義に扱われることもあるようですが、本来神秘主義の宇宙観・人間観が背景にあるので、「単に自分で自分をケアする」という意味より深い意味合いをもつことは、バッチ博士が残した著作から容易に想像できます。
 ハイアーセルフ(高次の自己)による助けや導きという意味のセルフヘルプは、自分の中でずっと続いていくプロセスだと実感しています。

林サオダ
16 : 27 : 57 | 未分類 | トラックバック(0) | page top
バッチ博士の死に関して
2014 / 02 / 13 ( Thu )
 バッチフラワーレメディについての攻撃には、いくつかのパターンがあります。

 ひとつは、バッチ博士は50才で亡くなっているが、バッチフラワーレメディが有効なら、なぜもっと長生きできなかったのか? というものです。バッチ博士は30才の時にがんになり、手術をしても余命3ヶ月と宣告されましたが、自分の研究を完成させたい一心で術後研究室に戻り、日夜没頭しているうちに病を乗り越えたという話が伝えられています。実際博士の死を見届けた後継者たちが伝えるバッチセンターのウェブサイトには、博士は亡くなった時にガンをもっていたが、ガンで亡くなったのではなく直接の死因は衰弱であると書かれています。博士の死亡診断書には「Sarcoma(肉腫)、Cardiac arrest(心停止)」と書かれていたとの情報も別の場所で見かけました。 

 バッチ博士は、その著書「なんじ自身を癒せ」の中で、「『魂』は、私たちにそうさせるためには、どんな環境と状況が最善であるか知っていて、その目的にもっともふさわしい生命の枝に私たちを配置するのです。」と述べています。そうさせるとは、前の文章にある「完成に向かって進んでいく」ことを受けているのですが、博士はこの世での肉体の死がすべての終わりであるとは考えていなかったと思われる言葉が、他にも見られます。

 また、レメディをシステムとして完成させて、亡くなる数週間前の1936年11月1日に友人に宛てた書簡にも、博士の考え方を示す次のような言葉があります。
 「I am daily expecting a call to a work more congenial than of this very difficult world.」
これは訳すと、「私は、この困難な世界での仕事より自分に適した仕事に招聘されることの予感を日々感じています。」というような意味になります。
 博士は助手のノラ・ウィークスら後継者に必要なことを伝えてあとを託し、自分は新たな世界に旅立ったと思えます。ノラウィークスは、”Medical Discovery of Edward Bach”の中で「he died in his sleep」(彼は眠っているうちに亡くなりました。)と安らかな死を思わせる文章を書いていますが、日本語の「心を癒す花の療法」には「彼は永遠の眠りにつきました。」と訳されているので、その点には気づけないかもしれません。ノラはまた、「Then,having accomplished all that was possible for him to do on earth, he gladly laid down his physical body to continue his work in another sphere,....」「そして、地上でなしうるすべてのことをやり終えた今、.....肉の身を横たえて別の世界で仕事を継続する途についたのです。」と書いていて、ここからも博士の考え方が伝わってきます。

 博士が50才で亡くなったのは事実ですし、長生きしたら、どんなことをさらに研究したのだろうかと、私も思ったりしますが、「バッチ博士は自分を救うこともできないで若死にしたから、バッチフラワーレメディは価値のないものだ」という論理には、やや飛躍がある気がします。


林サオダ






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